1975年7月23日生誕
兵庫県姫路市、広島県呉市にて育つ
3歳からの英才教育により、ピアノ、エレクトーン、マリンバなどに囲まれたなかで育ち、音楽を軸とした学生時代を過ごす
幼少期ながら、数々の試練を乗り越える暮らしを余儀なくさせられ、涙しかない日々を生き
音楽大学に行かなければ自立は無理だと中学3年生の卒業を間近としたなか悟り、そこからの更なる困難に苦しみ続けながらも、自活の未来をひたすら願い目標を達成できるように時に自暴自棄になりながらも歩みとして東京へと自らを推し進める。
苦難となる原因は産みのみとなる母親の人格疾患ともいえる訝しきライバル心でしかなく、逃げても逃げても感化しようとあの手この手で嫌がらせとわからない次元で追い込む非道なやり方には、親族さえ生き地獄でしかないと苦言をさしもするが、人格疾患の当人は、何がおかしいのかがわからないため、マザコンの極みふまえてイジメ抜くことで自らのエネルギー発散に茉莉愛を使い続ける。それによって、一年半のなかで引越しを7回もしたほど苦しんだ経験を持つ事になる。
その後、ドイツまでピアノで行き、区切りがついたと自分で自覚を持ったとき、音楽の道で歩んだレールから退くことを決め、自活のためにフランチャイズのバイトをはじめる。
しかし、泥棒に入られた体験から、生活と女性でも認めてもらえるビジネスを考えるようにもなり、またその頃働きはじめた小料理屋のお客さんから、ここで同じ時間働くなら繁華街に出たらと声をかけてもらったことがきっかけで、夜の街に出向いてみることを体験に迎える。
そして、自分の感覚に沿って店を探し、銀座の老舗クラブ、シェイクハンドならびにジャスミン、そして花咲亭という料亭を運営する山本豊社長に会い、初日からそのままの状態でよいから働きなさいと声をかけていただく。しかし、自分のステートはまだまだとの思いからお断りをひとまずし、連絡をいただいてから勤務としたうえで、持ち前の自分との勝負心を持ったなか、ママになるためにをフォーカスの目的として結果1年でママの座をいただくに至る。
当時の彼女すごさを知る人は、クラブ昴でボーイとして活躍していたある1人の彼にも、久しぶりに再会をしたときに「当時はすごかった」と今でも目をまるくなさって御夫妻で当時の様子を語ってくださいます。なぜなら、人が1年かかるのなら、私は1日で出来なければ嫌だという精神を持っていたからでもあり、だからこそ徹底的に会話を自力で学びながら、自分に夢中になりなさいと、日本社会の礎を支えていらしたある方に言葉をいただいたり、また、泣いた分だけ綺麗になれるからと、これも人生で一般の方は会うことはできない方から教訓とした言葉を貰い受け、屈託のないあからさまで日々がむしゃらに仕事を通しての自分に向き合いつづけていた彼女には、有難い御縁を山本豊社長によって御指導と人間性を磨くだらけという日々を金丸和代ママを通しても、京子ママを通しても、教えを丁寧に自愛へとなるように、厳しいなかでの人としての生き様ふまえて、人が生きる意味をも経験とした流れを教えていただくことになる。
その後、御縁の流れから、別のお店で任務をふまえて働く形となり、寿退職を迎え、すぐさま老人介護の毎日にはいる。
と同時に、介護の世界を独自の目線で学びながら、お世話になる事となったデイケアセンターの女性社長さんに色々と教わることが叶う。
その日々のなか、前夫となった家庭の愛犬が病となり、東京のなかで最も秀でた病院を探しまわり、犬の社会、環境、ペット産業、動物病院、ペットフード、動物の食事など文献を調べながら学んでいき、オーガニックフードのペットショップを見つけ、通いながら教わり、ある動物病院を教わり、さらに犬についての見解を深める。それからが、愛犬ぽこちゃんの食生活の見直しがはじまり、ヘルシーフードと腸内細菌のバランスに苦戦しながらも、1年かけてデトックスをやり遂げ、無添加の食事がもたらす毛並みの様子など含めて自身の解釈を経験とし、更にはもなかちゃんの自宅出産においてや、ぽこたんの旅立ちにおいて、ブログなどを通じて知り合えたムサシくん御家族皆様に、知識やハートを授けていただいたりしながら、動物と人との共に暮らす豊かさについてを幸せな未来へとつながる意味ふまえて柔らかなひとときを共に分かち合う気さくな関係を築き、
自分にとっての人生を磨きながら、ブログを通して仲良くなった佐賀の藤田まいちゃんとは、彼女が信念を通した話を唯一できる存在としてどこにいても何年経ってもかわらず親しく過ごせるハートの友となる。
毎年のように自分磨きをテーマとした日々では、素敵かつ御洒落だったことからも、慕ってくださっていた方々からは素敵なエピソードが満載でしかなく、どこの誰に訊ねてみても、尊敬からなる敬うフレーズしか出てこない。美容整体サロンでお世話になっていた平井久美子さんにおいては、リスペクトしていると御手紙をいただいてもいるほど、その親しみやすいエレガントさは、ハイブランドでも、あれが本物のお客様よと上司に言われたという担当の方がいるくらい気品あることで認められた存在であった。
その流れから、治らない胃炎、眠れない激痛、原因不明な体調不良。外出が気づけば半年もできないような予想外の身体になる日を迎える。
それによって、予防医療の扉を大きく広げて見ることとなり、ありとあらゆることを身をもって行なってきた健康と美容のカテゴリーの幅を、ホルモンにまで視野を広げ、栄養の仕組みを改めて学ぶ。
当時日々のスケジュールとしても学びとしていた内容は、加圧にはじまり、ピラティス、シルクサスペンション、全身EMSのXbody、美容整体、フットケア。数々を彼女目線で美意識の項目に取り組みながら、種田きよみさんとの遠慮ない大人の匙加減ふまえた対話は種田さんの姿勢素晴らしく尊敬できたおひとりです。
そして、心理を学ぶチャンスと気づきを学術の面からも教えをいただけた方としては、かつての銀座オルソクリニックの藤森徹也ドクター。彼にはナチュラルさが気持ちに寄り添う姿勢として大切であること含めて、なんでも話せる存在として、ありのままの自分で存在を自らに持つ意味を解釈をとおして教わり、そこからが素晴らしいの意味を知る旅のはじまりとなるよう、年代という器を磨く教養学の一貫としてマインドフルネスの真髄を通した学びに日々パワーがもたらされてゆけるように、丁寧さと徹底的さには頭がさがる恩師、京子さんを紹介していただく。その流れから同時に再会を果たした実父、木谷勝郎さんの看取りを本人様からの連絡によって最後まで体験とする。この看取りがすでに本人無自覚のなか、大きく宇宙の尊厳が携わっていたことは当人は知る由もなく、サイコパスの最高順位の人材と対する経験を持つ。
そこからが、いわゆるなぜかの始まりであり、未来への役目のために、なぜかを繰り返し体験となる日々。なぜか、なぜか、なぜ?だらけながらも、まわりの方に支えていただきながら、役職に完全につくエピローグを歩まされる。
変容当初は、かならず、あり得ないをおおきく引き起こされるのがシャーマンの案件ならびに、スペースイノベーターなる宇宙の使い手の役目となってもおり、証明できるように常に誰かが姿を見ているのも事実です。
48キロの体重が10日で21キロにまたたく間になっていく過程その毎時毎秒にも常にいた存在がおり、変容した宇宙の存在となった数々のアテンダントと会話もなさっていたり、自我の願望ともなさってもいた幅においては、いくつかワークも体験なさり、会得もなさっていたのも事実です。しかしながら、マザコンの流れがもたらす運命の幅に時空間が入るタイミングを迎える形にて、マザコンの意味を語る事態にまで年月は未来としたのも事実真実。
どんな時も、証明を可能にする存在がそばにいるのも、人生を奪う形で生かされゆく宇宙の尊厳を担う人材への定義となっており、厳しいを逸脱したなかで生命の誠のみを追及するのが任命となってもいるため、肉体提供者は常に未来を告げられゆく日々でしかなく、それがシャーマンの存在をもただしく見極める真実のみでしかない身を持っての意味にされたなか命として生かされる。
それが、生涯である神秘の尊い存在でありスペースがもたらす波動の使い手、尊厳そのものとなっている。
