人が素直に素晴らしい助言をきいて、聞けた助言をどんな話からだったにしても役に立つ結果となるよう自分にもたらすことが出来るには、教わる姿勢なければ無理ですね。
素直さだけでは、難しいのが、凝り固まるワガママなる己知らずの独りよがりな精神です。
つまり、社会で通用しないとさえいえる内容にたいして、誰かから苦言なる話を聞いたときに、どんな姿勢でその話にたいして会話をすることができるかです。
これを、丁寧に普通に力みなく対話がすることがスムーズにスマートにさえ簡潔にふだんの姿勢そのままにできるなら、まともな人材でありそれなりのポジションにもついていらっしゃることでしょう。
しかし、このようなケースにおいて、25歳までに世間から教わる姿勢ができてない人は、もはやという次元で生きるほかないとなります。
つまり、人から教わる事を拒否する不貞であることを自らに与えるわけですから、常識もなにもないとなるでしょう。
つまり、だれが話を彼らはきくのか…つまり、だからこそマザコンは厄介なのです。
マザーのいう言葉が教祖なのですから、その対応のみを他人にもしながら誰にも教わる事ない人生を良しとして生きてゆくのです。
分かち合うことは不可能ですと言ってもいる状態でしかなく、偉そうにさえ立ち振る舞いもします。
経験値がある大人が気になるからと、たとえどんな話をしてくれたにしても、役割あっての意味あっての学びでしかない相手様の話をぶった斬る形で平然とした態度で向き合うのですから、だれがそのような人と分かち合いたいと願うでしょうか。
まともな大人としての対応できない身であることを、平気としている人にたいして、何をまわりは望めると思いますか?です。
つまり、学習の姿勢もわからないわからずやには、何らかの戒めが、自然の流れでもたらされてもゆくわけです。罪には罰があるのと同じように、必ずやなんらかの仕組みがもたらされ、なんらかの病とした結論を肉体にはもたらされたりするのです。それが見えてはない状態だとしても、見える形にタイミングではなってもいきますから、先々という幅のなかでは寿命さえもを結論付けてゆくのですから、厳しい話でもありますが寿命が決まってもゆくとさえいう事態です。
きつい性格気質はやわらかさを自らにもたらすように、優しい感覚をたえまなく相手にも自分にも清らかな精神に定義テーマをもたらしながら、生活丁寧な形で無茶苦茶に人格が形成されないように、周りにもたらす自分にもなることが、ただしく〈生きている〉という意味でしかないでしょう。
人の細胞、脳内シナプスを、丁寧な時間になるように、慈愛にむけて自己愛から自愛へを未来に流れとできる自分人生にいたわりを持ってくださいね。
2024/05/28 茉莉愛
