そんなつもりはなかった、という説明をマザコンファザコンのところでお読みいただいたうえでの話にもなりますが、その子供は結果的に親に感化されたうえでの結果として親がうばった人生を、残念ながら歩まなければなりません。
そのうえで、ひとりきりの時間、悩みまくるのは、当事者である子供でしかないのです。
されど、その親は、日々かわらずかまい続けて、否定しようがなにが楽しみのひとつとして歩むことは得ることが叶います。
ここに、楽しみながらと綴っていますが、普通に考えても分かることでもあり、文献を読めば専門家の分析では、苦しいと思うことは止めるのが普通ですから、やめられないとまらないかっぱえびせん♪のように、やめられないにはそこには満喫できる分野が含まれているからこそ、止めようとはしないのです。
ゆえに、楽しみながら、満喫しながら、暇さなる時間を子供にちょっかい出しながら、さも親だから当然だとさえいう卑劣な発想を丁寧にそうは見えてないはずだと自分のみに解釈として、誰も間違いを指摘しない時間になってゆくなかで更なるポジションを活かして、あたかもさを振りかざして、偉そうにもエンドレス的に子供をかまいまくるをします。
ゆえに、母親と毎月のようにデートをしなければならなかったり、毎日のように連絡しなければ怒ることから御機嫌を絶えずとらなければならなかったり、四六時中母親の話に共感しなければならなかったりと、子供側は肉体が内臓からなる悲鳴をあげつづけていることさえ、普通だと解釈しながら、弱々しいのが自分だとして生きなければなりません。
つまり、咳の意味を知らなければなりませんし、生理の苦しみぬく事態を理解しなければ駄目だという次元です。
すんなり生きている肉体は、それはないからです。
そここそが、親がうばった人生となっていることを知る代表的なパーツでしょう。
頭痛ひとつ、顔色ひとつ、安定してないならば肉体はきちんと申したいことをアウトプットしていることに気づかなければ、はっきり申してもバカでしょう。
脳のシナプスの導きでしかないからですね。
なぜ、そんな簡単なことをわからず、簡単に年齢のせいにして、気の毒さを全面に出しながら、ナルシストさを認めたがったり、ナルシストさに共鳴したり、した人物人材が、人のなかに、存在するのでしょうか。
これだけの、文明社会だというのにです。
不思議でなりません。
いかに、馬鹿さ丸出し偉そうにが増えている世代が、どのポジションに多いかを、若い方から知ることが大切でしょう。
自分の身は自分で守ることを、知ってくださいね。
2024/05/27 茉莉愛
