非道しかしないファザコンの特徴

ファザコンは、あまりわからない方が多いかもしれませんが、際立つ特徴があります。それが「えらそうに」です。

さらりと偉そうなことを、不意をつく感じで言ってくる人は、ファザコンです。嫌がらせをしたくなるのです。なぜなら、ライバル必須で生きるように、ファザコンの対象者はファーザーなる人物から常に教わってきたからです。

いわば、社会では絶えずまわりの何かしらと戦うような生きるをすることが、人として賢い人だと、そう戒めのように学ばされてきた時間が幼い日にまじまじともたらされた挙句が、ファザコン成立確立となっているのですから、たえずライバルを見ては見つけては、戦いを挑みもしますし、そのうえで度合いにもなりますが、軽いのであれば、苦しみ抜きます。出来ない自分の情けなさに。

そのうえで、ファザコン軸が強いあまりの人格の人は、当たり前をあえてスゴイことのように誇張しながらアウトプットも致します。また、ファザコンが強いあまりに、謙虚さがわかりません。利用することの選択肢がつよく働いたり、自分が悪者になりそうな事においては上手にさも的に、まわりをたぶらかすことさえしながら自分は悪くないというポジションに自身を確実的かのような形で、シナリオさえ作り、それに当てはまるようにまわりをリードしながら、「ほらね」と誰かと共鳴しながら自分の立場を尊重してもらいたい気分をうまく形としていきます。

そんなことからも、マザコンもファザコンもタチが悪いは同次元と言えるでしょう。

偉そうな感じをうけとれないような人は、ファザコンの人かどうかを、表向きのみではわからない人にはわからないでしょうが、人を尊重できないのもマザコンと共通しての特徴です。そのうえで、ボスがファーザーという立場の人のみなので、人に頭をさげて教えをこうことが誠心誠意ではできません。それが偉そうな姿勢でもあり、ボスに似た気質の人を敬いあがめ、まるでブランド品を持ったかのような強気さえ気質に持ちもします。

女性であれば、男尊女卑が女性蔑視のようにも対応には随所にもたらすでしょう。

それが、非道でしかないファザコンの意味です。人を馬鹿にした形で生きることを平気で当たり前にして生きるのですから問題児でしかないのが実情です。しかし、残念なことに、日本にはこのファザコンが意外にも多過ぎて、まともな人が萎縮しなければならないのが実情です。

社会がファザコンやマザコンで成り立ってしまった現在を、知ることが健康な知識とまともな感性を持った人が、まずは知りわかることが、良い未来をつくるはじまりとなります。

まともな人が、苦労する社会で、良いものかどうか。

より良い社会とはどんな社会をいうのかを、願いたいものです。

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