マザコンには、3ステージという3つの段階が存在しています。
なぜなら、世代と性別が入り組んだ形で形成されてもいるからです。
では、なぜそんなにも、ややこしいまでの段階を、性格に持っているのでしょうか。
まずひとつ目のステージとして、〈なりなさい〉があります。
それが、母親としたポジションの存在が、マザコンになれ!という心身の軸をつよく持ったなかで、言うことをきかせきるように、発言を効果的に効くように行動をしながら、方向性をつくりきります。
文字化すると、なんともおぞましいように見えもしますが、あなたの周りにも、それらは意外にも日常的に起こされていたりも致します。
例えば、子供が選択できる物事において、我れ先にと言うハートで、あたかも親なので、とした感じを敢えて持ったなかで、見た目は注意をしているかのような感じ、されど子供の学習を奪ってもいるという発言でしかない言い放ち、このような一見的な感じは意外とよく見る工程かもしれません。
そのうえで、微笑ましく見えるなら、それは正しい指導です。
基準は『まわりだれもがそうする』これが基準です。
そのうえで、どのように発言して幼い年輪のひとりの人を、どのような未来を託して、尊重したなかで、発言や対話をすることが出来るのか。
これが人に申し立てできる親や地位あるポジションに立つ意味でしかないからです。
甘やかす
甘えさせてよい
厳しくしなければならない
厳しく育てなければならない
これが胸にあるなかで、人に対して対話をするのは、おぼこでしかありません。そのうえで、紛れもないマザコンです。
マザコンは、マザコンに、なってくださいを、押し付けてきます。
マザコンは、マザコンになれ!と、様々な形で日々、まわりを誘導していきます。
うやまえ
これが深い軸に持ったなか、日々過ごしていくのですから、まともな人はしんどい人だなぁと、なんらかのタイミングで、具体的には言語化できないとしても、しんどさをギフトしてくる発言や誘導には、めんどくさい感覚をもらい続けてゆくのですから、それが「めんどくさい」を覚えなくてよい状況にて解釈を違う形で記憶と、面倒くさいの意味であると、あやまった学習をさせられてしまうという、マザコンが「押し売りする甘えん坊さ」です。
そのうえで、うやまえというフォーカスの教えは、その幼子が社会人になった日でさえも、また、40歳80歳といい大人でしょうと言われもする年齢になっていたとしても、先生から教わりつくした〈ほめてください気質〉は、マザコンになった完全なる人格は、もはや常に、ほめてくれを求めつづけもします。
ひどい人にもなると、はっきりそれを言葉にさえ致します。
ほめてくれたらやるよ
気分よくしてくれてさえいたら、相手してやるよ
など、気持ち悪い次元であることをわからず発言さえしてきます。
そのうえで、マザコンもファザコンも、皆かんしゃく持ちですから、タチが悪いでしかないのです。
そのうえで、ほかにあるステージとして、ナルシストという事態があります。
人からどう見られているのかを、常識以上に、また判断基準にわざわざしたがります。
シンプルさ
これがない人格だからです。
わざわざをしたがりますし、わざわざをやりたがります。
そのうえで、段階を経てゆくごとに、発狂もしはじめたり、誘導する快感に酔いしれてもいきますから、近寄らないほうがよいステージにも人格疾患へと促されてもゆきます。
このあたりは年輪と関係しているようで、そうではない人もいることを知れば、いやはやといえる事柄でもありますね。
細胞が年月をかけて脳のシナプスをとおして成し遂げた脳であり、ハートであり、意識である精神であると言えるでしょう。
マザコンが大切にしている判断基準とは、なにか。
そのあたりは共通してもいるので、言葉の暴力を知る人には、丁重に対応するほかあり得ません。
そのうえで、あなたは決断力を学ぶ時間とはなるでしょう。
マザコンの不明確な信念は、マザーがもたらした奪いあげた時間にもありはします。しかし、選択は、御本人でしかありません。
そのうえで、相手を変えることはできなくても、自分は変化させることはできます。
自分がどうか、だけなのです。
つまり、酔いしれたいなら、しばらくはとどまるしかないとも言えますし、堪能したいからこそその場にいたいともなりもします。そのうえで、会得しながら、たち切ることや、得とはどんなことをいうのかをも見分ける基準を、まわりには提供として見せてもいると言えるでしょう。
すべてが役立つ役割役目は、物事に随所にある意味と同類です。
知るをわかりきると、与えはあるもの。体得なさってください。