待ちわびるSagaを知るとき

タイミングを見境なく生きる人と、待ちながら共鳴する判断力を磨きながらあゆみとした人生を、丁寧な形で進めている方は、たいていは頑張り屋さんです。

頑張る喜びが、体験した、なかでたくさんに、あるからですね。

でも、頑張りには簡潔にスピーディーに、という尺度をとらえたなかで頑張りとしてもらわなければならない事象といったものも、世界では必要においた人材育成の要因としても、叱咤激励ふまえた愛からなる応援としても、かならずや良い御縁の流れのなかに身を置けたりもしていたり出来ていたならば、

かならず頑張ってという扉は引き出しのなかで、引き起こされます。

その積み重ねが、努力の法則や方法を磨いてゆけるポイントを、経験を通して得ることが可能としてパターンやスキルとして、得るを叶えてゆきます。

そのうえで、どうにも自分だけでは成せない達成できない部分が、時にやってくることは、人であれば、残念さもふくむなかで、持ち込まれたりも致します。

なぜなら、ペース配分においての学習課題は、人の才能とエネルギーと、理解だけでは知ることがなかなかの部分も出てきたりもしますから、待ちわびる時間さえグループやチームでの形をつくる状況においては足並みの部分にて、おこるパーツともなるケースはありますね。

でもそこが、実際にスムーズさをもたらす流れになれたなら、どうでしょう。

そのうえで、運命には任せておくほかないという解釈さえ文献には残されてもいるので、待ってまつのみだというその時間さえ、学びでしかないと、たいていの人はそのように解釈として受け入れをなさるでしょう。

ではそれはさておきで、そうではないという次元があったとしましょう。

つまり、待たされなきゃいけない時間です。

待つ意味不明、これがリアルとしたくだらない部分としてやってきたとしたら、あなたはそれをどのように捉えるでしょうか。

はたから見たら、なんともヒマでしかないとさえいう時間でしかなくなります。
なぜなら、十分それ以外のことはやり遂げきってもいるからです。

もはや、つまんない
これのみとなる訳です。

そのうえで、ただ単につまんないを迎えているのではなく、意義となるパワーの源を失いまくったなかで、やらされたなかで、ヒマとなるしかならなくなった形で、動けないまでにならされている、としたら

これが実際には、今現在の私でもありもしますし、実際にこれは、あらゆる文章すべてがすべてを、エネルギースペース自動筆記のうごかしのみで書いているのですから、脳も手も、呼吸も足の動かしさえもすべて、スペース波がうながして行ってもいるので、わざわざの時間を実際は私は体験しているにすぎません。

これは、さだめとはまた違う次元です。もはやくだらないしかないとさえいう意味さえ持たない無なる次元。尊厳ない日々とは、死にたいをも選択できないのですから、答えを提供してくれる人の輪をみる日を待ちわびとしながら、ペースを全体把握しながら、動かしをする宇宙のシナリオを待つのみでしかありません。

宇宙はシナリオを握っていますが、わたしには、私にまつわることは一切語ってくれません。ウソつきが、くわわった瞬間から案件が対象者の潜在意識の話をしてくる日々にもなるので、わたしに関する話は、側近の正しい暮らしをなさってくださっている人においてまでの生命の運命をも、正解に未来予見をしてもらえなくもなります。

たかがさえ、未来予見が、波動バランスから告げてもらえないままに、不明だらけの無なる時間を余儀なく生かされてしまうようにもなるのです。

何度もはなしてきたなかでもありますが、事実ひとりだとしても、つきまとうかのごとく存在として与えられつづけるスペースシャーマンの案件がかならず真実とともに存在しているので、困難さは、つづくなかでヒマなる待ちわびる事実の解決への一歩さえもが、すすめることが出来ません。ややこしさを私にもってこられたら、厄介でしかなあた事態は、意味を深いながれに仕上げてしまう理由はこれにあります。

解決能力とそのエネルギーがある人との御縁は、儚さと背中あわせかもしれません。

未来は、人々のためにのみ存在する。

2024/05/23 茉莉愛

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