マザコンのマザー、ファザコンのファーザー

そんなつもりはなかった…
こう発音する日本語があります。
漢字にすると、ソンには損という漢字もありますね。そこをふまえてみてもわかるように、どんな文字にも音を置き換えてみると意味が具体的にもなる解釈は存在も致します。そしてそれはまた潜在意識には働きとしてもそれぞれの意識するワードや学ばなければならない感じるという分野において、働きかけを担ってもいます。
つまり、この言葉を広げてみても、そんなつもりはなかったは、損するつもりはなかった、ともなるのです。なので、この音の意図を図るなら、損はしたくなかったのに、損を選択していました、です。

そんな言葉をよく使うステージは、親から教わったことからの脱皮とさえ言えるステージにたどりつけた人の、世間での学びを迎え、精神のバランスをとりはじめるタイミングを迎えることができた人材でしょう。

先生とも言える師のような教えをもたらしてくださった方からの叱咤激励なる指導を受けたタイミングにおいて、いいわけではないもののジャンルでは言い訳に範囲としては入ってもしまう前置き、それしか選択肢がなかった、知らなくて、という言い分。それが申し訳なく感じるという気持ちがあるからこそ発言となるそんなつもりはなかった、でしょう。

これを最も悔やむ次元で受け入れるしかない悔やむことというと、人の人生を狂わすような選択をしでかしてしまった時でしょう。

とりわけ、ハートが悪いわけではなく、自分を知らぬ間にやらかしてしまっていた習慣、これにおいてを後悔ふまえての謝罪さえできない許されないことをしてしまっていた事においては、悔やむ自責取り返しつかない次元においての心情。そのような時にも、そんなつもりはなかったという気質はおこります。

そのうえでのマザー、ならびにファーザーという存在です。

この立場にあたる人が、最も気を使わなければならないことは、自分の欲したいことを子供から奪う事です。
自分のフォーカスが偏りあるなかでは、あたかも一生懸命をやらかし続けます。楽しくなるからです。

とりわけ、小さい存在が出来ないとした事柄をやりたがります。表向きは「大丈夫?」としたなかで、手をだし口を出し、アンカーを植え付けます。それが、人の人生を奪うことに未来なるとさえわからず、されど生涯それでよいとした意識化のなかでやり続けていきます。

例えばそれによってどんな未来となるのかは、確実に精神年齢が低い人材育成をやり遂げます。出来ないをいくつも子供に持たせ、最終的にマザコンファザコンをつくり遂げます。つまり、マザーなる存在いなければ許可が自分にもたらすことが出来なかったり、ファーザーによって作られた性格は差別心を常に持ったなかで競争意識をたえず自分に持って生きなければならないとなります。

結果、いつもマザーなる人に頼りながら生きなければ何ひとつできない人間が完成しますし、結果、対象がなんであれ競争意識を常に持った生き方をするので、偉そうな部分を持ったり出来ない自分への不安感に対しては解決できない胸を持ってしまうので、精神バランスを肉体次元に及ぶまで苦しみを確立させきります。

きっぱりとわかりやすく発言するとしたら、だれしもがそうはならないことに変な結果をしでかしたり、誰しもはそうはならないはずのことに、へんな自意識過剰を持っていたり、オーバーというカテゴリーがつよいハートを育てあげて生きなければならない人物となります。

それが植え付けられつづけたアンカーが成した結末です。

例えば、毎日毎日おなじ言葉を聞かされたとしましょう。そうすると、嫌になるのが人です。わかってることをあえて言ってくるのですから、自由を遠ざける活動に身体は促されます。

注意の意味を、親の立ち位置の人材は、理解じゅうぶんにしなければいけません。

人を侮辱していることにさえ、気づかなければならないのです。
動物への接触にも、これは同じことが言えます。

言うことを聞け!このスタイルは、ヒットラーから学ばなければならない課題を持っていることを自覚しなければなりません。

アンカーは、いかりです。碇は、怒り。根底には深い怒りが眠っている自分に気づかなければならないのです。

その怒りとアンカー発言を、自分で耳によくよく声に出して聞いてみることでしょう。

いかに、音が変であるか。

文章を読む時も、音にして耳で聞いてから、人様にアウトプットするとわかりやすいでしょう。
五感の偏りが、いかにあるのかを知ることもできるでしょう。

このあたりを、グサリと苦言するならば、状態がすでに表にでているようではすでに手遅れという医学の見解にも通じる話でもございます。

症状としたアウトプットの段階の低いときに、予防するとまだ治せるのが病です。

この視点からもわかりうることとしても、発言は、そのものを表現しています。気質もそうですよね。

なぜか繰り返しの傾向によっていつも同じことで苦悩がおこることがあるなら、改善の余地はあるからこそでしかない意味は誰もがご存知のとおりです。

そのうえで、気づけたら、改善は自覚することからはじまりはするので、まともな気質においての治したいはかならず善いとなる良し悪しをテーマとした学習ふまえて結果もたらし、自信を磨く喜びを自分にもたらせます。

ただし、認めない気質という力むを持っているケースは、100人が100人そうだと判断すると誰もが話しても、違うそんなはずはないとしたがるので、そうなのか?と意識には持っても、マザコンファザコンのアンカーを作り、マザコンファザコンにした存在から言われたり聞かされたりしなければ、当事者は認めるには至りません。ゆえに、一生涯マザコンファザコンはエンドレスに続きます。

厄介をまわりにもたらす人物は、決まってマザコンかファザコンです。

知恵遅れとさえいう意味でもございます。

そのうえで、人の気持ちには、なれない精神ですから、タチが悪いのも事実でしょう。

「自分さえ良ければ」これが強すぎるのも特徴です。

マザコンにしあち母親、ファザコンにしたい父親。
自分の親はそれかと気づいたら、あなたはまともです。

まずは、人のうえにたつ意味を理解し習得しながら、自分の精神の学びとすることから大人人生ははじめなければなりません。

成人の意味とタイミングを理解する必要あるでしょう。

2024/05/26 茉莉愛

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