人は、産まれてから未来へと歩むにつれて、必ず自分が良いとしかならない歩みを軸に迎えて結果という未来を作り上げて行かれます。
でも時に、それはわずかながらにも、正しいとは言えない事態。正しいと誰もが言えると断言できない事態。これをなぜかやってしまうというあやふやな自分においての非道を、紛れもない時間を迎えた時に人は、自分を時間をかえりみず歩んだ日々への訝しい自分に対しての、清算という清めをタイミングで迎えます。でなければ、采配にはならないからですね。
時が、与えるものさしを、御存じでしょうか。
時の流れのみが知ることが出来る儚さや、時の導きのみが与える非情さは、わざわざでなくてもよい次元さえもが味方できるように、細胞への脳波をもたらし続ける流れにて、他人にはわからない不問なる群青としたエネルギーとして濃い細胞となり、自らを持って学べと体内から学びをもたらします。
病の根底には、治癒を促すための波動でしかございません。
つまり、そこらかしこに、もたらされ続けているのが、浄化波動でしかないのも事実です。
このような意味を、じょうずにイメージからも捉えられるなら、あなたは素晴らしい発想力をすでに脳内は構築できているとベースはあるとも言いきれます。
だれが得をするのか
これを常に意味を持って考えれば、ことのしだいという部分は、正確な意味で、ジャッジ出来ますね。
誰が、どんな意図で、そう得を得るのか得たいのか
判断の基準とは、まともさの基準とは、なんとも簡単でもございます。
さて、話は変わりますが
先日、とても嬉しいお話をいただきました。それがなんとも導かれた先での御縁でしか相変わらずないなかで、かなりの遠方の方との御縁によって、寄り添い型という発想を軸に活動をなさっている方との時間をいただきました。
その彼の発言力にも、強さある真面目さある正しくを基準とされている、すべてにおいて「わかります、そのあたり」と共鳴できもするビジネスの展開の流れやアウトプットのなさり方。それがわたくしに共鳴を呼び寄せ、にわかな方々にはへどさえ出てもくる昨今の流れに、いいかげんピリオドがもたらされも叶うその方と、新しく御縁をもたらせていただきました。
まともさを、十二分に表現となさっていらっしゃるあたりにおいては、堂々となさっている自己PRにおいても、素晴らしいと感じたと共に、
近所の豊子さん(私の東京の母になります)が、わたしとのやりとりのなかで、身近な肉親よりも遠くの知り合い、と大切な意味を語ってくださった日をも思い出しも致しました。
ちなみに、わたくしを育ててくれた祖母は、事態をしっかりと理解をできているわけではありません。しかし、彼女はまともな基準があるからこそ一代で会社を大きくした女性社長として地元では有名でもございます。そのうえで、私と異世界の時間のわたし、の違いには、すぐに気づいたりもし、質問をもしてきました。そのうえで、天地は役職担いを祖母にも役目として与えありとした定めを見せるとして、定義を軸に、わたしの現在もの波動と同じままに同一化にて、たえず祖母にも命ある限りを天命としなさいとすらいう次元にて語りとし、今現在も、たえず豊子さんと協力して、仲良くなったふたりのおばあちゃんがわたくしを根底から今日も支えてくれています。そのうえで、今の住まいを選ぶにあたり御協力くださった不動産屋さんの男性をもが、どんなケースにおいても、ビジネス外である内容であったとしても、お願いを手紙に託したときは、豊子さん同様に、かならず未来を手伝ってくださいますから、日々の苦難は事実ある現段階においても、絶え間ない尊重という御心には感謝を超えた人類ならではとさえいう仁愛精神の意味を、見せてもいただけるひとときです。
人は、学びながら、命を絶え間なく未来としていきます。
しかし、どのステージからが、80歳となる豊子さんや40歳という不動産屋さんの彼のように「人として」に磨きがかかるというのでしょう。
こういった説明さえなかなかとなる課題とすらいう人の意味を問う道徳は、誰がどう発言をしながらより良い時代を創りながら世紀をまたぐ時間につなげてゆくのでしょうか。
そこはかとない1部分が、自分という存在であったなら、そこも大切なピースでしかないわけです。
向き合うことへの前向きさとは、はじまりでしかない扉。
ハートがつくってゆく意味でしょう。
2024/05/14